ダイソーの歴史 HISTORY

ダイソーのDNAを創った男、矢野博丈。
その男の人生をダイソーの歴史と共に振り返ります。

第一章逆転の果てに

大創産業の創業者 矢野博丈が興した会社
大創産業(ダイソー)
その設立までの過程は凄まじいものがあった

昭和18年生まれの矢野は中央大学を卒業。
学生結婚した妻の実家のハマチ養殖業を継ぐが失敗、借金を背負ってしまった。
その後9回の転職を重ね、自分の人生はもう終わったという所まで追いつめられていく。

女房や子供がかわいそうだと思いながら毎日毎日ガムシャラに働いた。

そんな時たまたま通りかかった公民館の前に、何十台という自転車が駐輪していた。
何だろうと館内を覗いてみると、それが移動販売だった。
矢野はその移動販売業者に弟子入りする。

荒物、鍋、雑貨を扱う移動販売業に当時29歳だった矢野は「矢野商店」と名付けた。
これが後の大創産業になろうとは矢野自身も全く想像できなかったであろう。

1972 – 1976

第二章夜明け前

始めは色々な価格を扱う移動販売だったが、夫婦で働き、尚且つ子供もいるという中でラベルを貼り替える手間をおしみ100円均一へと変化していった。

その時の矢野は夫婦間で一つの誓いをたてた、死ぬまでに何とか年商1億円の会社にしたい。

自分は親が医者だったから親の職業欄に医者と書けたが、自分の子供は露天商では可愛そうである。
矢野は子供のことを思った。

会社がもっと成長できるように、がんばれるようにと、矢野は大きく創る会社という願いを込めて大創産業と名付けた。
産業や商事物産などの名前が流行っていた時代で産業を選んだ。

矢野の100円均一が他と違っていたのはある出来事がきっかけだった。
ある時4~5人のお客様が来て、いろいろ商品を見ているがこれがなかなか決まらない。
「あー早く持ってきてくれないかな」と矢野が思った時、その中の1人が「ここでこんな物買っても“安物買いの銭失い”や。帰ろう」といってみんなを連れて帰ってしまったのです。
矢野は立ちつくすだけでした。

その時、矢野の心の中にはメラメラと悔しき炎が燃え上がりました。
「ちくしょう!ならワシは利益を度外視していい物を売ってやる!」と原価の高い物すべて100円で販売したのです。

すると今回は、お客様の反応が変わりました。
利益は1円もいかないかもしれない商品、それを手に取るお客様からは「これも100円?」「本当に100円なの?」という声がおこり始めたのです。
この時から大創産業という船に風がおこり、長旅への航海が始まったのである。

1972 – 1976

第三章転換期

それまでの大創は社員が4tトラックに乗って スーパーの店頭まで販売に行っていた。
朝は早くから荷物を積み込み、現場に行き、 帰りは陳列していた什器もすべて片づけて後始末をして 夜は遅く帰るというパターンがしばらくずっと続いていた。

売れれば売れるほど仕事の量が増え、社員の中には疲れが見え始めていた。

そんな時、とあるスーパーから「4階に店を出してみないか?」と誘われた。

矢野も人のいない所に出して売れるとは思わなかったが、店内に商品を置いて帰れるのなら店が終わったら社員はすぐ帰れる。
早朝から”準備をしなくても済むようになるなら”と、社員の事を考えたらすぐに心が動いた。

熱い説得もあって店を出してみた。
お客様がどんどん上がる、人のいなかった4階にも人が上がる。
店長さんからは「おたくの100円均一は『わざわざ百均』だ。
1階で同じ商売をやっていても、お客さんは4階まで買いに来られている」と言ってくださった。
この時良い商品を置いていれば固定の店舗でも売れることがわかった。
そこから常設店の展開をしてみようということになったのである。

1987 – 1989

第四章全国展開への道

ダイソーは全国47都道府県に店を出店してるが、これは野心から出たものではない。
まず色々な人にダイソーの商品を見てもらいたいという思いと、他社に対する恐怖だ。
現在の商いは生きるか死ぬかの世界に入っている、気を抜けばやられる。
ダイソーは月に50~60の出店を続けた。

そして店舗の大型化も同時に始まる。
その中でも、業界の度肝を抜いたのが、2000年の4月にオープンしたギガ町田店だ。
販売面積2000坪、5階建て、デパート面積が100円ショップになったのだから、お客様もビックリした。
オープン時にいた社員は、年配のお客様より涙ながらに「こんな店を作ってくれてありがとう」と言われたそうである。

百貨店、スーパー、コンビニとそれに続く新しい業態、もう完全に生活シーンになくてはならない存在になっているダイソーを想像していただければわかるが、

今の世の中でなくなったら困るお店といって
まず浮かぶものは何ですか?
ダイソーもその中に入りませんか?
私達は世の中になくてはならない店を
創っていきたいと考えているのです。

1990 – 2000

第五章 飛躍の時

2001年、海外展開がスタート!
日本で通じた、ダイソーの商品は海外でも通用するのか?
期待と不安が入りまじった中、ついにダイソーが海外に飛びだした。
一から始める海外、手探りの中、挑戦が今も続いている。
何名かの若干の社員が海外の店長に抜擢された。

シンガポールやアメリカなど果敢に挑戦し続ける、そうダイソーにとって一番大事なのは
この挑戦することなのだ。

この挑戦というのがダイソーの全てなのだ。
今まで誰もやってこない事に挑戦したい。
それがダイソーを動かしている。

オーストラリア、ブラジルなど、さらに海外出店のペースは加速する。

その一方で、ダイソーを取り巻く環境が厳しくなりつつあるのが事実。
「100円だから売れる」ではなく、100円で高品質は当たり前。

その上で、買いたいと思って頂ける商品を提供していかなくては、選んで頂けない時代になっている。
新しい商品や驚き…ダイソーは常にお客様の期待を高め、さらにそれを自らが超えるという終わりなき挑戦をし続けている。

2001 –